第9回!!!!ゼミに入って!!!!!!!井之上!!!
- 2017/02/21
- 21:05
みなさんっっどうもっこんにちはっ!!!中野ゼミ1期生いのうえですっ!!!!!!!!!いえええええええええええい!!!!
三寒四温の季節、皆様におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
早いもので、この中野ゼミ1期生ブログも自分を入れて残り2回の更新となりました。
今回のテーマは「ゼミに入って」ということで、最後のブログらしくゼミの振り返りがテーマです。
さぁ早速僕の出生から振り返っていきたいと思います。
僕は、鹿児島県の阿久根市という港町で生まれ育ちました。

前髪にガムをつけて遊んで、そのガムがとれなくなってよくハサミで切られているような少年時代を過ごしました。
ここ鹿児島県で高校までの18年間を過ごしています。
小・中・高すべての通知表に
「ふざけていいときと、ふざけたらダメなときの区別をしっかりつけましょう」
と書かれているようなアホな生徒でした。
そんなアホな生徒であった自分は、たまたま取り寄せた愛知学院大学のパンフレットを見て
「時代の要請に迅速かつ柔軟に対応できる専門知識と問題解決能力を備えた人材になりたい」と思ったのと「キャンパスがしゃれおつ」という理由で愛知学院大学に進学しました。
そんなこんなで愛知県の大学に進学した僕ですが
大学の入学式のときに
「みんな変な喋り方だな」
と感じたのを今でも思い出します。やたら髭の濃い男が「やおー」と言っているのを聞いて驚愕しました。
そしていよいよ大学2年生のとき。
ゼミ選択で「中野ゼミ」を志望し、あの中野健秀准教授の研究室で学ばせていただけることになりました。
最初のゼミは「自分自身を紹介するパワーポイントを作って発表する」というもので、自分は決められた時間よりも長く喋ってしまい、さっそく中野先生に怒られました。記念すべき第1回のお叱りです。
それから、今までというものずいぶん僕は自由にゼミ活動をさせてもらっていたなと思います。
先生は常に「やってみろ」というスタンスで、その分やりがいがありました。
僕がゼミに入って一番よかったなと感じた活動は
「大人たちの金曜日」です。
ここで僕はその講師だった竹中さんに出会うことができました。
竹中さんは東京にある広告制作会社の代表取締役であり、今まであったどの大人よりもスパイスの効いた面白い方で、講演中に笑い泣きをしそうになるくらいでした。
その広告制作会社を立ち上げた日が僕の誕生日の7月11日で運命を感じたのを覚えています。
その後、夏季休暇中に東京の竹中さんの会社にインターンシップに行かせていただきました。
そしてそのインターンの間、竹中さんの家にずっと泊めてもらいました。
この東京での5日間を自分は一生忘れられないと思うくらい、貴重な体験をさせていただきました。
自分は、俗にいう「意識高い系の学生」とはまったく逆の位置にいる人間ですが、そんな僕でも
「学生のうちに社会人の人と話す場」
があるのは、就活でも今後の人生においても得だと思っています。
普通に学生生活を過ごしていると、まず社会人の方と話すコミュニケーション能力を養う環境が無いというのが大きな理由です。
毎月そんな場がある中野ゼミ生はかなり幸せだと思うし、どんどんその後の懇親会にも参加すればよかったと後悔しています。※タダだったら
こんな真面目なことを書いている僕ですが、ゼミ中はいつもふざけていたし、やれと言われたことはやらないしで中野先生にはいつも怒られていました。
課題も多いし、他のゼミと比べて拘束時間もめちゃめちゃ長い。毎週ゼミ辞めたいな~と思っていました。
それでも辞めなかったのは、一緒に辛い中頑張ったゼミのみんながいたからです。
ありがとう。

感動のシーンだけど、藤田の服装と八原のプロデューサー感にしか目がいかない。
ゼミの活動以外でも、プールやUSJに行ったり、キャンプでやけにおしゃれなコテージに泊まったり、バーベキューや花火も誘っていただけました。
どれも最高の思い出です。
一様副ゼミ長なんで、最後にゼミ生一人ひとりにメッセージを送ります。
高桑へ
唐突なバレンティン。あれセンスありすぎ。ゼミをよろしく。
竹内へ
井澤をよろしくお願いします。
えぐもへ
ゼミで一番尊敬してる。絶対将来すごいクリエイターになる。
松尾へ
木下君と大学院によろしく。
ひろりんへ
中野ゼミ数少ない貴重なツッコミ。こんどフェアトレードしよう。
河合ちゃんへ
書ききれないのであとでPDFで送ります。
あみっぺいへ
僕はまだ中野ゼミの一員だと思ってます。
吉田へ
東京で悪徳な情報商材を大量に買わされそうで心配。
仲良くなれてよかった。これからもよろしく。
井澤へ
4年間どんなときも一緒にいてくれてありがとう。お前がいなかったら多分大学を辞めてた。
最高の友人とゼミも同じで楽しかった。
スーパーモデルりなちゃんへ
アホでポンコツだけど、美人で可愛くて料理もうまくて、鼻の粘膜を焼く手術を検討中の八原さんとゼミが一緒で僕は本当に幸せ者です。
いつも笑わせてくれてありがとう。
くたびれたOLへ
お疲れさま。この動物園のようなゼミをまとめられるのはあなただけです。
チーズタッカルビ食べたい。
中野先生
本当にいつも迷惑ばかりかけてすいません。
最初は毎日のように叱られて大嫌いでした。
でも2年間ずっと叱り続けてくれたおかげで今の僕があります。
僕にとって愛知県の父親は中野先生です。
これからも僕を叱ってください。
以上です。ありがとうございました。
三寒四温の季節、皆様におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
早いもので、この中野ゼミ1期生ブログも自分を入れて残り2回の更新となりました。
今回のテーマは「ゼミに入って」ということで、最後のブログらしくゼミの振り返りがテーマです。
さぁ早速僕の出生から振り返っていきたいと思います。
僕は、鹿児島県の阿久根市という港町で生まれ育ちました。

前髪にガムをつけて遊んで、そのガムがとれなくなってよくハサミで切られているような少年時代を過ごしました。
ここ鹿児島県で高校までの18年間を過ごしています。
小・中・高すべての通知表に
「ふざけていいときと、ふざけたらダメなときの区別をしっかりつけましょう」
と書かれているようなアホな生徒でした。
そんなアホな生徒であった自分は、たまたま取り寄せた愛知学院大学のパンフレットを見て
「時代の要請に迅速かつ柔軟に対応できる専門知識と問題解決能力を備えた人材になりたい」と思ったのと「キャンパスがしゃれおつ」という理由で愛知学院大学に進学しました。
そんなこんなで愛知県の大学に進学した僕ですが
大学の入学式のときに
「みんな変な喋り方だな」
と感じたのを今でも思い出します。やたら髭の濃い男が「やおー」と言っているのを聞いて驚愕しました。
そしていよいよ大学2年生のとき。
ゼミ選択で「中野ゼミ」を志望し、あの中野健秀准教授の研究室で学ばせていただけることになりました。
最初のゼミは「自分自身を紹介するパワーポイントを作って発表する」というもので、自分は決められた時間よりも長く喋ってしまい、さっそく中野先生に怒られました。記念すべき第1回のお叱りです。
それから、今までというものずいぶん僕は自由にゼミ活動をさせてもらっていたなと思います。
先生は常に「やってみろ」というスタンスで、その分やりがいがありました。
僕がゼミに入って一番よかったなと感じた活動は
「大人たちの金曜日」です。
ここで僕はその講師だった竹中さんに出会うことができました。
竹中さんは東京にある広告制作会社の代表取締役であり、今まであったどの大人よりもスパイスの効いた面白い方で、講演中に笑い泣きをしそうになるくらいでした。
その広告制作会社を立ち上げた日が僕の誕生日の7月11日で運命を感じたのを覚えています。
その後、夏季休暇中に東京の竹中さんの会社にインターンシップに行かせていただきました。
そしてそのインターンの間、竹中さんの家にずっと泊めてもらいました。
この東京での5日間を自分は一生忘れられないと思うくらい、貴重な体験をさせていただきました。
自分は、俗にいう「意識高い系の学生」とはまったく逆の位置にいる人間ですが、そんな僕でも
「学生のうちに社会人の人と話す場」
があるのは、就活でも今後の人生においても得だと思っています。
普通に学生生活を過ごしていると、まず社会人の方と話すコミュニケーション能力を養う環境が無いというのが大きな理由です。
毎月そんな場がある中野ゼミ生はかなり幸せだと思うし、どんどんその後の懇親会にも参加すればよかったと後悔しています。※タダだったら
こんな真面目なことを書いている僕ですが、ゼミ中はいつもふざけていたし、やれと言われたことはやらないしで中野先生にはいつも怒られていました。
課題も多いし、他のゼミと比べて拘束時間もめちゃめちゃ長い。毎週ゼミ辞めたいな~と思っていました。
それでも辞めなかったのは、一緒に辛い中頑張ったゼミのみんながいたからです。
ありがとう。

感動のシーンだけど、藤田の服装と八原のプロデューサー感にしか目がいかない。
ゼミの活動以外でも、プールやUSJに行ったり、キャンプでやけにおしゃれなコテージに泊まったり、バーベキューや花火も誘っていただけました。
どれも最高の思い出です。
一様副ゼミ長なんで、最後にゼミ生一人ひとりにメッセージを送ります。
高桑へ
唐突なバレンティン。あれセンスありすぎ。ゼミをよろしく。
竹内へ
井澤をよろしくお願いします。
えぐもへ
ゼミで一番尊敬してる。絶対将来すごいクリエイターになる。
松尾へ
木下君と大学院によろしく。
ひろりんへ
中野ゼミ数少ない貴重なツッコミ。こんどフェアトレードしよう。
河合ちゃんへ
書ききれないのであとでPDFで送ります。
あみっぺいへ
僕はまだ中野ゼミの一員だと思ってます。
吉田へ
東京で悪徳な情報商材を大量に買わされそうで心配。
仲良くなれてよかった。これからもよろしく。
井澤へ
4年間どんなときも一緒にいてくれてありがとう。お前がいなかったら多分大学を辞めてた。
最高の友人とゼミも同じで楽しかった。
スーパーモデルりなちゃんへ
アホでポンコツだけど、美人で可愛くて料理もうまくて、鼻の粘膜を焼く手術を検討中の八原さんとゼミが一緒で僕は本当に幸せ者です。
いつも笑わせてくれてありがとう。
くたびれたOLへ
お疲れさま。この動物園のようなゼミをまとめられるのはあなただけです。
チーズタッカルビ食べたい。
中野先生
本当にいつも迷惑ばかりかけてすいません。
最初は毎日のように叱られて大嫌いでした。
でも2年間ずっと叱り続けてくれたおかげで今の僕があります。
僕にとって愛知県の父親は中野先生です。
これからも僕を叱ってください。
以上です。ありがとうございました。
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